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2015年10月19日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

食文化の大動脈。北前航路(日本)

■北前航路(船)ってなに。
江戸時代に行商船のルートとして、瀬戸内海をとおって大阪、江戸へ向かう西廻り航路と、津軽海峡をとおって江戸へ向かう東廻り航路がありました。そのうち,西廻り航路を走る船を「北前船」と呼ぶようになったようですが、なぜ北前船と呼ぶのかについては、北廻り船がなまったという説、北前とは日本海の意味で日本海を走る船だからという説などがあるようです。
北前船として使用された船は、当時、貨物船として広くつかわれていた「弁才船」と呼ばれる船で、運行が盛んになるにつれて、走りやすくするための改造・改良が加えられていき、明治時代になっても、しばらく活躍していたようです。
 
■生活や食文化の交流に使われた北前航路
海の大動脈として物流を支えた北前航路は、海を渡る“総合商社”であったようです。本州からは、米や塩、薬、衣類などあらゆる生活物資を積み込み、商売をしながら日本海を渡り北海道に向けて北上しました。逆に、北海道からは、主に昆布や鰊、鮭、鱈などの海産物を運び、一回の航海の利益は現在の額で約1億円にもなったようです。そして、北前船によって各地の生活や食文化に大きな影響を与えたと言われています。

【担当:廣畑 一夫】 


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