宇野港「連絡船の町」プロジェクト
撮影日:2014年4月26日新福 功 さん
淡路で生まれ育った私、子供の頃は本州へ行くにも四国へ行くにも”船”が必要でした。今は橋が架かり、淡路からの船はジェノバライン(昔の播淡汽船)が残るのみとなりました。利用者減少で運航休止の話もしばしば上がっているようですが、船で海を渡る喜びは決して車で橋を渡るのでは得られないものであり、どうか未来の子供たちにも伝えてあげたいものです。世界一の橋を下から眺めて颯爽と風を切って走る高速船、香川に単身赴任している今でも、帰郷した折にチャンスがあれば乗船したり、写真を撮りに行ったりしています。海があって船がある、自分には子供の頃から見慣れた心落ち着く風景で、香川でも休日には瀬戸内海を眺めに行きます。
淡路で生まれ育った私、子供の頃は本州へ行くにも四国へ行くにも”船”が必要でした。今は橋が架かり、淡路からの船はジェノバライン(昔の播淡汽船)が残るのみとなりました。利用者減少で運航休止の話もしばしば上がっているようですが、船で海を渡る喜びは決して車で橋を渡るのでは得られないものであり、どうか未来の子供たちにも伝えてあげたいものです。世界一の橋を下から眺めて颯爽と風を切って走る高速船、香川に単身赴任している今でも、帰郷した折にチャンスがあれば乗船したり、写真を撮りに行ったりしています。海があって船がある、自分には子供の頃から見慣れた心落ち着く風景で、香川でも休日には瀬戸内海を眺めに行きます。