宇野港「連絡船の町」プロジェクト
撮影日:1960年頃深谷 正泰 さん
宇野港に着いたばかりの瀬戸丸です。この頃は連絡船もそれに接続する列車も超満員でした。降りる前の乗客が見えます。この後、席取りのため列車めがけて猛突進をせねばなりませんでした。死のプラットホームと呼ばれた頃です。
宇野港に着いたばかりの瀬戸丸です。この頃は連絡船もそれに接続する列車も超満員でした。降りる前の乗客が見えます。この後、席取りのため列車めがけて猛突進をせねばなりませんでした。死のプラットホームと呼ばれた頃です。