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2017年11月01日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

宇高連絡船愛好會 三村さん解説 その3

宇高連絡船愛好會長の三村さんによる「撮り船」フォトコン応募作品の解説その2です!!

三村會長の解説 その1はこちら
http://archive.city.tamano.lg.jp/renrakusen/research/research_detail/index/42.html
三村會長の解説 その2はこちら
http://archive.city.tamano.lg.jp/renrakusen/research/research_detail/index/43.html

3枚目は、髙城 進さんの「みんな注目!!」です。
撮影時期は、昭和30年12月の時のもの。
働きはじめたお給料で初めて買ったカメラで撮影された1枚です。




【三村さん解説文】
昭和30年5月の宇高連絡船史上最悪の「紫雲丸事故(168名死亡)」の後、国鉄による連絡船への安全対策が早急に行われた。
その1つが救命具の増設と扱い方の徹底である。
写真は昭和30年末撮影らしく、窓の形状から、事故対策工事完了前の「眉山丸」か「鷲羽丸」と思われる。
宇高連絡船の救命胴衣は、固型式と呼ばれる発砲スチロール入りの紐を結ぶタイプで、着用方法を乗船客に説明していた様子である。ただ、船員の負担も大変であるし、お客も乗って早々に救命具の着用について説明されてはさぞかし不安であったと憶測してしまう。
その後は救命胴衣の保管場所や着用方法のプレートの掲示とマネキンによる着用例が設置され、人的な説明は無くなった。

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まず、連絡船上で救命胴衣の装着方法の説明が行われていたことに驚きました。
皆さまからの応募写真から初めて知ること・勉強になることが、たくさんあります。

また、三村さんのように知識が豊富な方からたくさんの情報を教えていただき、有り難いかぎりです。
少しでも多くの方に情報発信できればと思います!
 


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