連絡船レポート

トップページ > 連絡船レポート > 今も残る連絡船航路を訪ねる(下関~釜山・関釜航路)

2015年10月19日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

今も残る連絡船航路を訪ねる(下関~釜山・関釜航路)

連絡船と言えば昔のものというイメージがありますが今も乗ることができる旧連絡船航路があります。そんな旧連絡船航路の中でも日本と大陸を結ぶ国際航路であった下関~釜山間を運行する関釜航路(現関釜フェリー)を訪ねました。現在一日一往復下関19:45発→釜山翌8:00着・釜山21:00発→下関翌7:45着の夜行便で運行されています。
 
今回は下関フェリーターミナルから乗船しました。利用客は韓国人旅行者が多く日本人はあまりいない様子。中でも印象的だったのが行商と思われる大きな荷物を背負った韓国のおばちゃん達。フェリーの中では韓国語が飛び交っており気分はすでに韓国上陸です。
 
そんな関釜航路には深い歴史があります。航路の開設は日露戦争の終わった1905年(明治38年)以後日本は大陸への関係を強めていきます。それに伴い関釜航路も多くの人々を運び大変な賑わいを見せました。しかし1945年(昭和20年)戦争のため航路は消滅してしまいます。その後1970年(昭和45年)関釜フェリーとして復活し現在にいたります。
このような長い歴史を持つ関釜航路についてふと思います。下関駅の近くにはコリアタウンがありました。行商のおばちゃん達は今日も荷物を背負ってフェリーに乗っています。連絡船が運んできたのは人や物だけでなく文化や生活も運んでいたのではないか。そんな気がします。
 
さて、フェリーは進み夜も更けていきます。客室は大部屋と個室があり今回は個室を利用しました。部屋にはトイレ、シャワー、テレビがありなかなか快適です。そして翌朝には釜山に到着。朝目覚めると外国という船旅ならではの体験ができます。
 
 
船から見える下関の夜景や釜山港の朝の景色がきれいだったり、船内の売店ではキムチ味のカップ麺がよく売れていたなど飛行機ではわからない様々な発見があり船ならではの楽しさを感じた今回の旅となりました。

【担当:日名川 中】


このページの先頭へ