連絡船レポート

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2015年10月19日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

離島の連絡船(日本)


【担当:金嶋 彩子】

2015年10月19日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

ベトナムの連絡船(ベトナム)

ベトナムでは,メコン川を中心に多くの渡し船が存在します。
メコン川は多くの支流に分かれ,農業用,輸送用の水路も網の目のように張り巡らされています。
このため,渡し船はベトナムでは,重要な交通手段の一つになっており,橋は水路の交通の妨げになるため以前はあまり架かっていませんでしたが,近年は交通網の発達によりその限りではないようです。
船の特徴として,陸路では「オートバイ」「自転車」が主な移動手段になるため,ベトナムの渡し船は車両での乗船を考慮されています。
右下の写真のようにデッキがそのまま波止場の地面と一つになるようになっています。乗船料は約30円~35円程度です。

  
「ベトナムの渡し船」                    「船内の様子」
(写真出典:http://sekaikenbunlog.com/0050-vietnamより)

また,水運の発達しているベトナムでは水上市場があり,庶民の生活の場となっています。
カントー市のカイラン水上マーケットはアジアで最も美しい水上市場といわれており,ベトナム観光の定番の一つにもなっています。                                                               
多くは早朝6時ごろから始まり,昼前には終わってしまいます。
売買される品物は,果物や農作物が中心となっていますが,珍しいところではヘビ、トカゲ、カメ、リスなども販売されているようです。
しかし,以前は活気のあった市場のようでしたが,上にも挙げたように,現在は交通網の発達により衰退しているようで,観光客のために存続している意味合いが強いようです。
以前からあったものが新しいものにとって代わられていく様子は,便利になっていく一方なにか残念な気持ちになってしましました。


  
  (写真出典:http://vietnam.navi.com/miru/258/)

【担当:谷口 祐也】
 

2015年10月19日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

スターナビゲーション(西太平洋ミクロネシア)

西太平洋ミクロネシア南部のカロリン諸島は、パラオ諸島やヤップ島など、伝統や魅惑的な伝説に包まれた地域です。
その魅力溢れる島の人々の生活において、海と陸とを結び付ける大切な乗り物がカヌー。しなやかで美しいフォルムのカヌーは、金属性の釘や設計図は使用せず、現地で取れる素材と伝統の製法によって全て手作業で作られ、その航海方法も更に興味深いものがあります。位置を確認するために頼りにするのは、風、空、海流、海の深度、魚や鳥の動き、星の位置。動力になるのは草木で編まれた帆と、カヌーを漕ぐ人の力だけ。計器や羅針盤も一切使わないこの航法は「スターナビゲーション」とも呼ばれていて、そんな航海の旅をする地球最後の航海民族がヤップ島をはじめとするカロリン諸島には残っています。

1975年には、「チェチェメニ号」で47日間をかけて、ミクロネシアから日本の沖縄まで3000kmの航海に成功した例もあります。その「チェチェメニ号」の現物は現在大阪府の国立民族博物館に展示されおり、全長8mの勇壮で美しい船体は迫力満点です。
そんなカヌーに乗って、スターナビゲーションの航海に出れば、あとは全て自然と運と経験まかせ。考えるとすごく不安になりますが、現地の男性たちはたくましく、伝統や経験を受け継いで航海に出ているのだと思うと、尊敬せずにはいられません。

また、現在ヤップ島では毎年10月頃に「ヤップ・カヌーフェスティバル」が開催されていて、伝統のカヌーレースやダンス、ナイトマーケットなど、伝統の技を継承するヤップスピリットを体験することができます。
現地にある素材を集めて作ったカヌーで島から島へと移動し、素朴ではあるけれど豊かな暮らしをするミクロネシアの人々。瀬戸内海を行き来する多くの定期船も同じように、私たちの生活を豊かにし、いろいろな形で支えてくれているのだなと思いました。

【担当:藤井 美帆】
 

2015年10月19日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

今も残る連絡船航路を訪ねる(下関~釜山・関釜航路)

連絡船と言えば昔のものというイメージがありますが今も乗ることができる旧連絡船航路があります。そんな旧連絡船航路の中でも日本と大陸を結ぶ国際航路であった下関~釜山間を運行する関釜航路(現関釜フェリー)を訪ねました。現在一日一往復下関19:45発→釜山翌8:00着・釜山21:00発→下関翌7:45着の夜行便で運行されています。
 
今回は下関フェリーターミナルから乗船しました。利用客は韓国人旅行者が多く日本人はあまりいない様子。中でも印象的だったのが行商と思われる大きな荷物を背負った韓国のおばちゃん達。フェリーの中では韓国語が飛び交っており気分はすでに韓国上陸です。
 
そんな関釜航路には深い歴史があります。航路の開設は日露戦争の終わった1905年(明治38年)以後日本は大陸への関係を強めていきます。それに伴い関釜航路も多くの人々を運び大変な賑わいを見せました。しかし1945年(昭和20年)戦争のため航路は消滅してしまいます。その後1970年(昭和45年)関釜フェリーとして復活し現在にいたります。
このような長い歴史を持つ関釜航路についてふと思います。下関駅の近くにはコリアタウンがありました。行商のおばちゃん達は今日も荷物を背負ってフェリーに乗っています。連絡船が運んできたのは人や物だけでなく文化や生活も運んでいたのではないか。そんな気がします。
 
さて、フェリーは進み夜も更けていきます。客室は大部屋と個室があり今回は個室を利用しました。部屋にはトイレ、シャワー、テレビがありなかなか快適です。そして翌朝には釜山に到着。朝目覚めると外国という船旅ならではの体験ができます。
 
 
船から見える下関の夜景や釜山港の朝の景色がきれいだったり、船内の売店ではキムチ味のカップ麺がよく売れていたなど飛行機ではわからない様々な発見があり船ならではの楽しさを感じた今回の旅となりました。

【担当:日名川 中】

2015年10月19日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

太平洋を行く!《オーシャン東九フェリー》体験記

普段の移動は専ら飛行機や新幹線ですが、この秋、軽自動車での旅となり、東京~徳島~九州(門司)を太平洋ルートで結ぶカーフェリーに乗船しました。
 
今回は東京~徳島間の乗船。
18時に東京を出て翌日の13時30分に徳島に着きます。約20時間の船旅です。
 
愛車を走らせレインボーブリッジを通り、フジテレビ社屋を横目にみながら有明の乗り場へ。
と、どどんっと目の前に現れたのは「おーしゃんのーす」
全長(LOA)166.0m         型幅 25.0m        総トン数 11,114トン
12mトレーラーx99台 8トントラックx31台、乗用車x71の台自動車積載能力を持つフェリーです。

船に車を乗せるのも専用のスロープでぐいぐい坂道を上がります。
 

車両甲板は機械感満載ですが客室はホテルの様。
入ってすぐにロビーに売店。
 
そして、自分の部屋のベッドに荷物を置いて一息。
 
いざ、船内探検!

椅子は船が揺れても滑ったり転がったりしないよう、床にチェーンで固定されています。
 
自販機コーナーには冷凍ピザや麺類、ドリアなどがあり週類も豊富。
夕食をとって・・・お風呂!?
 
沖に出るといよいよ携帯電話の電波も弱くなり、本読めば気持ち悪くなり、お風呂に入って5時間を超えたところで船酔いもピークに。
太平洋の荒波にもまれ、もう心を無にして眠るしかないと、就寝。
 
そして目覚めればもう、潮岬。
朝の探検をして天気の良いデッキで深呼吸して、身支度をしているうちに徳島着岸。
目的地に到着したときの喜びもひとしおでした。
 
たまたま週末に乗船したこともあり、小さな子どもを連れた家族連れや、釣り仲間やバイク仲間など大所帯で移動する人たちが多く、お弁当をひろげたり、共有ルームで酒盛りしたり、船旅を楽しんでいる姿が印象的でした。

【担当:大垣 里花】
 

2015年09月30日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

こえび新聞 ―連絡船特集号―

【こえび新聞】
昨年、勉強会で作成した「連絡船特集号」。
連絡船の歴史や知識がつまった力作です!

2015年07月24日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

国立民族学博物館(大阪)

本プロジェクトメンバーでは毎月連絡船についての勉強会を行っているのですが、今回は初の県外での勉強会を行いました!


【「連絡船の町」プロジェクト勉強会in国立民族学博物館(大阪)】

まずは、京都大学 東南アジア研究所 木村友美さんに海外での船にまつわるお話を聞かせていただきました。
 
 
水上交通が盛んだった国も発展をとげるとともに、陸上交通が主になり水上交通は衰退していくことが多いそうです。これは今の日本にも当てはまるのではないでしょうか。しかしタイなど一部の国では、発展した結果陸上交通が大渋滞し、再び市民の交通手段は“船”に移行しているそうです。
また、私達が車を使うようにMy船をつかって移動する地域があったりと、そこに住む人々の生活や文化の違いを感じる写真を見ながらお聞きした現地でのお話は、新鮮でとても興味深く時間があっという間でした(>_<)

その後、国立民族学博物館 民族文化研究部教授 池谷和信教授に普段入ることができない資料保管庫を特別にご案内していただきました。
  
みんぱくで最も古い保管庫を見学した後、3月に開設されたばかりの船の資料のみを集めた保管庫へ!!
とにかく広い(°_°)
この保管庫に足を踏み入れたのはまだ数名しかいないということで感激です!
様々な国の生活に密着した船がたくさん保管されていました。
木製だけではなく、国の特色によって牛皮やセイウチの皮、アシやシラカバなど素材も多様で連絡船勉強メンバーはワクワクしっぱなし♪
そしてなにより、池谷教授の説明や本プロジェクトへのアドバイスが的確で大変勉強になり、身が引き締まりました。

続いて、国立民族学博物館の地域展示をご案内いただきました。
なんとこちらの常設展示、ワンコインで世界一周できちゃいますΣ(o'д'o)
世界を各地域に分け、オセアニアを出発して東回りに世界を一周し、最後に日本にたどり着く構成はとてもおもしろかったです。
     
こちらも池谷教授にご案内いただきながらの、楽しい世界一周旅でした♪
今回連絡船の町プロジェクト勉強メンバー初めての県外進出でドキドキでしたが、大変有意義な調査研究となりました。
世界に目をむけたことで幅広く物事を捉えられるようになったと思います!
そして、この経験を生かして、勉強会メンバーで“世界の連絡船”をテーマに調査研究に取り組むことになりました。
完成したものはこのブログに掲載する予定です♪

ご協力いただきました、国立民族学博物館の皆様、池谷教授、京都大学東南アジア研究所 木村様には心より感謝申し上げます。

 

2015年07月13日│連絡船の町プロジェクト・勉強会

岡山県古代吉備文化財センター

岡山県古代吉備文化財センター総括主幹尾上さんにご案内いただき、歴史や文化を物語る貴重な埋蔵文化財をみせていただきました。

この絵画土器は足守川加茂A遺跡で発掘されたものです。

なんと弥生時代の土器だそうで、左上に描かれているのは船の模様のようです。
船の形の中の4つの○模様は船に乗っている人か物ではないかと推測されます。
船は古代から生活に無くてはならないものだったことを改めて感じました

また、奈良時代の船の一部も保管されていました!!!

こちらは菅生小学校裏山遺跡で発見されたもので、井戸の一部として使用されていたそうです。
昔の船は木製のため、現在まで残っていることは大変珍しく、井戸で水に接していたため長い年月を経てもこのように保管することができた非常に貴重なものなのです!!
「連絡船の町」勉強会メンバーは、この船の一部からどんな船だったんだろうという話で盛り上がりました。
船の歴史を辿っていくと様々な発見・学びがあり、おもしろいです♪

調査研究事業にご協力いただきました、岡山県古代吉備文化財センターの方々に心より感謝申し上げます。


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